15 聞かせたい話
僕が、あの小学校の、兎小屋の金網の、ちょっとした破れ 目から抜け出したのには、ふたつ理由があります。
ひとつは、隣の鶏があまりにもうるさかったこと。
もうひとつは、どうしても旅に出たかったからでした。な ぜ僕が旅をしたいのか。それに理由はありません。だって そうしたいんです。角切りのリンゴを食べたいと思うのと 一緒なんです。
果たして僕らの一生に、その欲求を叶えることが必要か、 それについては沢山の議論が交わされました。
子供たちにハナと呼ばれる、実の名を海山光子という子は 「それは確かに必要よ。でも」と言いました。彼女は、外 の危険を良く知っているのです。金網の向こうに待ち受け る、まだ見ぬ危険。その確かな予感は、様々な伝承ととも に僕らの遺伝子がしっかりと伝えてくれていました。
ミミ太と呼ばれる最長老の海山桑田郎は、バカを言うな、 と叱りつけました。退屈ならばわしがいくらでも話をして やる。そう、彼は金網の中の語り部です。彼の頭の中には 、大きな書棚が確かにあり、いくつもの物語が収納されて いるのです。
しかし、それは、
リンゴをめぐる押し問答や、
かたくななダンゴムシが心を開くまでの葛藤
アリの行列のこだわり
よつ葉のクローバーの哲学
飛べない綿毛の運命
など、金網ごしの物語ばかりで、そればかりに耳をすます 僕らはますます、心の不思議の罠にかかり、眉間でものを 考え悩み、ぷらりやってくる子供たちが起こす風に、やっ と赤い目をあげて、ようやく空の青さとお日様と、草のざ わめきを知るのでした。
海山桑田郎が冷たく固くなり、五本指の大きな手のひらに 包まれ小屋を去ったあと、彼が生涯ぴったりと身を寄せ守 り隠していた、金網の破れ目が見つかりました。その朝、 僕は決めたのです。
桑田郎をしのぶ会のあと、僕はみんなに告げました。
みなさん、僕は旅にでます。
___お前の事は死んだと思う事にします、と母の海山聡 子は言いました。いつも以上に口と鼻をピクリとも動かさ ず、静かに話す母の声は、不思議に響き、まるで待ち受け る危険が口を聞いているようでした。
僕は、こっくりと、うなずきました。
少し間をあけて、母は言いました。もしもお前が帰ってこ れたなら、その時は、産まれた日の朝のようにお前の事を 迎えましょう、と言いました。
赤く美しい目から、ぽろぽろと透明の涙が流れ落ちました 。
その時、初めて僕はこれが長い旅になることを知ったので す。
良く晴れた月の夜、潮騒ひびく海山小学校を、僕は抜け出 しました。
海というものの、広さったらなんでしょう。
道というものの、限りのなさったらなんでしょう。
耳がうけとる風の音の、豊さに僕は驚き、喜び、いつまで もどこまでも跳ねて走り続けました。
そうして、僕はあっという間に、金網のあの小さな小屋の ことを忘れてしまいました。
それから何年たつでしょう。危険という危険に出会い、旅 をして、僕は僕になりました。僕の頭の中の書棚には、沢 山の物語がつめこまれました。
綿毛が海を超えたこと。
見知らぬ土地で目覚めた、黄色いタンポポの背伸び。
長い坂道を身を固めたまんま転がり降りるダンゴムシ。
カンムリになったしろつめ草の恋。
耳でうなる蜂の羽音が、土地によって違うこと。
みんなに話してやりたい事が山ほどです。
けれど、海山小学校への道のりを僕はすっかり忘れてしま いました。
風が耳をなでるたび、僕はふと顔をあげ、誰かに呼ばれた 気になってあたりを見渡します。シロと呼ばれた僕の体は 、すっかり茶色く汚れ、あの日のこどもたちが僕を見つけ ても、もう僕とはわからないでしょう。
海山空太、僕の実の名です。かつて僕を、シロ、や、空太 と呼んでくれた故郷は、この星のどこかに隠れてしまいま した。ときどき、無性に泣きたくなりますが、こらえて僕 は旅を続けます。いつか帰ることができたなら、産まれた 日の朝のように、声をあげて僕は泣くのでしょう。
それにしても、なんて限りのない道でしょう。海でしょう 。空でしょう。いつまでもどこまでも、僕は跳ねて走るの です。
作 たみお
僕が、あの小学校の、兎小屋の金網の、ちょっとした破れ
ひとつは、隣の鶏があまりにもうるさかったこと。
もうひとつは、どうしても旅に出たかったからでした。な
果たして僕らの一生に、その欲求を叶えることが必要か、
子供たちにハナと呼ばれる、実の名を海山光子という子は
ミミ太と呼ばれる最長老の海山桑田郎は、バカを言うな、
しかし、それは、
リンゴをめぐる押し問答や、
かたくななダンゴムシが心を開くまでの葛藤
アリの行列のこだわり
よつ葉のクローバーの哲学
飛べない綿毛の運命
など、金網ごしの物語ばかりで、そればかりに耳をすます
海山桑田郎が冷たく固くなり、五本指の大きな手のひらに
桑田郎をしのぶ会のあと、僕はみんなに告げました。
みなさん、僕は旅にでます。
___お前の事は死んだと思う事にします、と母の海山聡
僕は、こっくりと、うなずきました。
少し間をあけて、母は言いました。もしもお前が帰ってこ
赤く美しい目から、ぽろぽろと透明の涙が流れ落ちました
その時、初めて僕はこれが長い旅になることを知ったので
良く晴れた月の夜、潮騒ひびく海山小学校を、僕は抜け出
海というものの、広さったらなんでしょう。
道というものの、限りのなさったらなんでしょう。
耳がうけとる風の音の、豊さに僕は驚き、喜び、いつまで
そうして、僕はあっという間に、金網のあの小さな小屋の
それから何年たつでしょう。危険という危険に出会い、旅
綿毛が海を超えたこと。
見知らぬ土地で目覚めた、黄色いタンポポの背伸び。
長い坂道を身を固めたまんま転がり降りるダンゴムシ。
カンムリになったしろつめ草の恋。
耳でうなる蜂の羽音が、土地によって違うこと。
みんなに話してやりたい事が山ほどです。
けれど、海山小学校への道のりを僕はすっかり忘れてしま
風が耳をなでるたび、僕はふと顔をあげ、誰かに呼ばれた
海山空太、僕の実の名です。かつて僕を、シロ、や、空太
それにしても、なんて限りのない道でしょう。海でしょう
作 たみお
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劇団、ユリイカ百貨店の脚本家:たみおさんが
絵にお話を付けて下さいました。
ユリイカ百貨店さんのfacebookページは➡こちら
夏にワークショップと、秋に舞台があるそうです。楽しみ。
舞台の綿密さ、公演チラシのちょっと切なくて懐かしい感覚。
どれもこれも魅力的です。
最近は残念ながらなかなか観に行けていないのですが・・
暗闇が似合う。生活のちょっと先にある見てみたい世界。
女の子なら夢見た事がある世界。
そういうものを形に出来る方だと思います。
嬉しいなぁ!!
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