苔をはがして根っこに付いてる土をとる。
黒くなった根っこを切る。
小さい頃、私は自分はさえなくて短命のうさぎなんだと信じていた。
あまり理由はなかったが子供なのに野菜ばかり食べていたし、泣いてばかりで目が真っ赤で、なんとなく図鑑でみた時に似ているからそう思ったのだ。
絵の図鑑なのに血管が透けてみえる耳が丁寧に描かれていて、この絵描きさんは動物の毛細血管なんか描くよりも、もっと運動や料理や別の絵を描くのに時間を使えばいいのに、と余計な事を考えたりした。
12歳の頃、大人のうさぎ(実際にはうさぎではなく、「モモ」に出てくるような灰色スーツの男だ)が来てこう言った。
「君にはお姉さんがいる」
それから私は姉をさがすことに膨大な時間を費やした。
その頃姉は南の遠い島でクジラをやっていた。
同じくらい大きな体のクジラと、格闘の果てに結婚していた。
長い長い人生と体、大きな夫と一緒に、世界の海を喰い散らかすのがふたりの夢。
昆布やイソギンチャクたちがゆらゆら揺れながら祝福をした。
ぼくらは僕らでやってくさ、おめでとう。おめでとう。
言っているそばから昆布たちは潮の流れに巻きこまれて散っていった。
真夏の風に吹かれたレースのカーテンみたいだ。
キラキラ。キラキラ。
叶わない恋のように水の生き物は失われる瞬間、一等輝く。
南の海からほど近く、
朴訥な風景の中に建つ団地、2-A棟305。姉たちはつつましやかな団地に住んでいた。
コツコツ、扉を叩くと義兄が大きな目玉を覗かせる。
「やあ、僕らの妹。待っていたよ」
二重のロックが開いて、私は快く部屋に入れてもらえた。
姉はオリンピックのTVを見ていた。水泳の応援をしている。
床には水面を模した柄の絨毯が敷いてあった。時々砂の感触が足に触れる。
青い壁紙。黄色い魚の形をした瓶のワイン。外光を受けて虹を作るモビール。
ワインに書いてある文字は外国のもので、上から読むのか下から読むのか、さっぱり分からなかった。
日が落ちそうになった頃、姉と海へ出かけた。
海からも部屋が見える。義兄が手を振っている。
泳げない私を背に乗せて、姉は大きな口を開けて酸素や小さな虫や魚を取り込んだ。
「退屈よ。とても退屈」食事をしながら満足そうに彼女はそう言った。
そういえばあの部屋の窓辺には、梅の枝が付いた苔玉があった。すっかり干からびていて、水をあげなきゃいけないと思ったのだ。
苔をはがして根っこに付いてる土をとる。
黒くなった根っこを切る。
新しい根が生える。苔がまたキョトンとしたように目を覚ます。
じわじわと水が絞り出される。
姉の背中で目を閉じて夢を見ていた。
気がつけば白いワンピースが膝まで水に浸かり、絡まった海藻が模様のようにしがみついていた。
そろそろ陸に上がるか、と姉が聞いた。私は静かに頷く。夕焼けが目に痛かった。
台風が近いのか、雲や空がピンク色に染まっている。
長い時間泳ぎ、浜が近くなった頃はもうすっかり夜だった。
ドンドン。音と光がずれ、背中で軽い風を感じる。きっと花火が上がっているのだ。
もうすぐ火薬の匂いが風に乗ってやってくるだろう。
姉の掻く水はゆるやかで手の動きは遅く、眠そうだったが穏やかに笑っていた。
「きっとあなたと同じ事を考えていた」そう言って姉は笑った。あなたと同じ、が何を指すのかは分からない。
ようやく浜辺に立った。部屋の窓から明かりと義兄の影が見える。
部屋に戻ったら、あのワインの名前を聞こう。
それから彼女にとても長い話をしよう。そう心に決めた。
使っていいと言って下さったので、絵の背景に写真をお借りしました。
中島麻美さんの「赤ナマ刺身」からです。
ありがとうございました。
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